津留崎直紀 コンサート情報

弦楽合奏版「展覧会の絵」特別演奏会  続報

 

 

 ストリング コンソノとのリハーサルも残す所あと一回になった。今回は4月1日のプログラムノートの一部を特別公開する。

音楽の捧げもの

 一般的に「輪唱」と言われているカノンは「カエルの歌」のように同じ音をワンフレーズずらして歌ったり弾いたりする音楽の事で、バッハの同時代者だったパッヘルベルのカノンは有名である。カノンはバロック時代以前から作曲技法として非常に厳格な理論がが要求される大変ペダンティックな音楽だったが大バッハの活躍しだした18世紀の初頭には既に殆ど廃れていた音楽だった。カノンを作曲する複雑さはちょっと考えていただければ理解できると思うが、一つの旋律を作曲し出した時、既に後から入って来るパートの音は決定してしまうのである。いっさい変更の余地はない。しかも「カエルの歌」や「パッヘルベル」は同じ音を追いかけて奏する「ユニソン(同音)」カノンだが、これ以外にも音の高さを違えて奏する2度、3度などのカノン、音の形を反対向きにする「反行カノン」など様々な技法がある。(2度のカノンとはたとえば第1声部が「ドレミ」だと第2は「レミファ」となる。反行カノンは「ドレミ」に対して「ドスィラ」となる)しかもその動きは一音たりとも違えてはいけないのみならず、当然の事だが聞くに堪えうる音楽にならなければならない。そういう意味ではカノンの作曲は音楽というよりある種の知的パズルの要素が多く、見事に書かれていても退屈な音楽になりやすい。

 大バッハが「音楽の捧げもの」を作曲した1747年頃は聖トーマス協会のカントールとしての仕事も毎週カンタータを作曲しなければならなかった頃に比べると、義務としての作曲は殆ど必要なくなりかなり自由な環境にいた。バッハは若い頃からフーガやカノンに対して、理論的挑戦に強い興味を持っていたようだがこの頃になってそういう種類の作曲を多くし始めた。契機になったのは「ゴールドベルグ変奏曲」の作曲依頼があってからで、バッハはここで30の変奏曲のうち9曲をカノンに当てている。バッハはそこで「同音」カノンから始めて2度、3度、から9度のカノンまで至り、しかもその中には「反行」カノンなども含めるという離れ業を行った。さて、バッハのカノンは退屈な音楽か?答えは否である。この曲を聞く人は必ずしもカノンである事を知っている必要がないし注意して聞いていないとカノンだと解らない事も多いだろうと思うが、これら9曲のカノンは技術的に完全であるばかりか音楽そのものが大変美しいのである。殆ど音楽史上の奇跡と言えるくらいだ。

 「音楽の捧げもの」についての話を書かねばならなかった。バッハは「ゴールドベルグ」の作曲のあともさらに様々なカノンの「知的ゲーム」を続けたようで(近年、バッハが他の曲の自筆譜のあいているスペースにゴールドベルグの別のカノンを何曲か書き残した物が発見されている)その一つがこの「音楽の捧げもの」である。伝統的逸話では時のフリードリッヒ大王にバッハが謁見した際、フルートを嗜み音楽愛好家だった大王が提示した主題をバッハに即興でフーガやカノンにして弾かせた事になっている。逸話では王が2声から6声までのフーガをを即興するように命じたがそのあまりの複雑さにバッハは音を上げ、後日楽譜にしたため王に献呈した事になっている。その2つのフーガが「3声」と「6声」の「リチェルカーレである。何故フーガと呼ばず、リチェルカーレと呼ぶかは、バッハがラテン語でRegis Iussu Cantio Et Reliqua Canonica Arte Resoluta 
(王の命により残りの部分をカノンの技法で解決)と献呈の辞で書いているからである。このイニシャルをあわせるとRicercarになる。いかにもバッハらしい「知的ゲーム」の一端である。リチェルカーレとはイタリア語で「探求」という意味であるが、簡単に書かれたフーガ風の音楽を指して言う事もあった。

 しかしこの王の主題は「減7度音程」と半音階進行のあるバッハが特に晩年好んで使った殆どバッハの刻印が押されたような音形である。現在ではこの「王の主題」は謁見時作曲中だった、現在「音楽の捧げもの」と呼ばれている一連の曲を即興も交えて御前演奏した後、主題を王に捧げたのだろうというのが一番有力な説である。

王の主題

王の主題

 「リチェルカーレ」はこの2曲の場合完全なフーガである。バッハが書いた楽譜は「3声」は鍵盤楽器用の2段の楽譜だが、「6声リチェルカーレ」は6段の楽譜でそれぞれ異なった音部記号で書かれている。特定の楽器を指定していないので様々な楽器で演奏する事も多い。しかしこの2つのリチェルカーレはチェンバロなどの鍵盤楽器で弾けるように周到に書かれている。おそらくバッハ自身がオルガンやチェンバロで弾けるように書いたのだと思われる。

「3声リチェルカーレ」の後はまず「カニのカノン」と呼ばれる30秒足らずの音楽。まずはこの楽譜をご覧頂きたい。1段の楽譜に一見単純に見える楽譜が書かれている。

カニのカノン

「王の主題」がわずかに変形されて8小節あり、その後8分音符が続く。よく楽譜を見ると音部記号がお終いの所にも書いてある。これは一人は始めから、もう一人はお終いから反対読みで奏せよとの指示である。これを普通の楽譜にするとこのようになる。


これだけでもかなり知的ゲームっぽいが、厳密に言えばカノンとは言えない。第2声部は第1声部の全くの逆行で、テープレコーダーに録音して反対回しにした音である。ある意味音楽的「回文」である。実は他の9曲のカノンもこのように謎めいた書き方がされているのでこの一連のカノンを「謎のカノン」と呼ぶ事もある。


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